第5章 ワシントン州立大学
今回は第5章ワシントン州立大学を読んだ。
この章ではポールが大学生になったところからの話が書かれている。
大学生になったポールは、寮で一人暮らしを始め、いたって普通の大学生活を送っていた。
多種多様な人たちと一緒に暮らし、宿題を手伝ったり、フットボールチームに入ったりと大学生らしい生活だなと感じた。
1972年、レイクサイド時代の友人だったケント・エバンスが、登山の授業中に足を滑らせ亡くなった。
彼はビル・ゲイツと同い年であり、ビルは大変なショックを受けた。
ビルはレイクサイドと契約し、夏休みの間にあるプログラムをケントと書くことになっていたが、ケントができなくなってしまったので、ポールを誘った。ポールはそれを引き受け、2人で一緒に仕事をすることになった。
これがきっかけで2人はさらに親しくなっていった。「同じようなことを面白いと思い、同じようなバカバカしいことでよく笑った。」というところからも、仲の良さが伝わってくる。
その後もいくつかの仕事を引き受けることになるのだが、その一つに交通量調査の仕事があった。時間毎の交通量を調べ、それをデータで見やすくするというものだ。
この仕事をして行く中で、新システムを作ろうということになった。協力者が必要になり、二人の共通の知り合いがポール・ギルバートという、ワシントン大学電気工学科の学生を紹介してくれた。この3人で、これから作る新システムと、3人のチームの両方を「トラフォデータ」と名付けた。彼らはこの事業で大金が転がり込むに違いないと思っていたが、最終的には州政府が同様のサービスを自治体に無料で提供するサービスを始めてしまい、失敗に終わった。
章の最後に、「たとえ失敗しても、そこから進んで何かを学ぼうとする姿勢でいれば、その失敗は成功の種になる。」と書かれている。
これは、トラフォデータでの失敗は貴重な教訓になったということだろう。
この経験が、2人の起業家としての第一歩になったのではないかなと思った。