第9章 ソフトカード

 

今回は第9章を読んだ。

 

1979年、ポールはナショナル・コンピュータ・カンファレンスに参加し、「ビジカルク」という表計算ソフトウェアを見て、衝撃を受ける。

これがあれば、自分でプログラミングが全くできない人でも、簡単に会計計算ができるようになるのだ。今後、ビジカルクのようなアプリケーションの価値は言語を上回るようになるはずと考えたポールは、自分たちもこのようなソフトウェアを作らなければ危機に追い込まれると考えた。

そこでポールが思いついたのが、ソフトカードと呼ばれるコンピュータに組み込めるような回路基板を作るというものだった。これだったら半年もかからずに作ることができる。

ソフトカードは1981年だけで、約2万5千セット売れた。売り上げにすると800万ドルである。

当時は不況であったが、ソフトカードの収益によりマイクロソフトは深刻な事態に陥らずに済んだ。

ソフトカードがマイクロソフトにとって重要だったことはビルも認識していた。以前の話し合いで2人の取り分は六四対三六であったが、今回のソフトカードでは自分の貢献が大きかったため、そのままの数字では妥当ではないとポールは感じた。ポールはビルに話を持ちかけたが彼は耳を貸そうとせず、保有率はは変えないと言ったそう。「そう言われた瞬間、私の中で何かが死んだ。」と書かれていたが、すごい表現だなと思った。ビルはあまりにも自分勝手ではないかと思ってしまった。2人の貢献度によって公平に決めたのだと思っていたが、ビルは自分の利益が一番大事なんだなと思った。

その時はそれ以上話はしなかったらしいが、心の中では「わかったよ……でも、いつか辞めてやるからな」と思っていたそう。

ポールがこの後マイクロソフトを去ることになる理由として、ビルは大きく関係しているんだろうなと思った。

 

 

第8章 パートナー

 

今回は第8章を読んだ。

 

この章の最初で、ビルはまた取り分についてポールに提案をする。これまでは六対四であったが、六四対三六にしないかと言ったのだ。この時も、ポールは驚きつつもこの提案に賛同する。

ここまでお金に関してビルが言ってくることに私は驚いた。もちろんお金は大切だが、ここまで読んできた中で、ビルはお金に執着するような人間に見えなかったからだ。

 

1977年1月号の『パーソナルコンピューティング』誌で、ポールは「パーソナルコンピュータはいずれ、持ち運びのできるようなものになるだろう。」と述べている。また、『マイクロコンピュータ・インタフェース』誌では、遠くに存在するコンピュータどうしが接続され、緊密に連繫し合うコンピュータ社会の到来をすでに予想していた。

当時はまだ技術もなかったのに、これほど正確に未来を予測していたというのに驚いたし、すごいなと思った。また、自分たちのやっている事業が、そういう未来に繋がっていくだろうという思いがあったからこそ、これだけ努力してやってこれたのかなと感じた。

 

章の後半には、ビルの人間性について書かれている部分があった。

ビルは、他の社員と揉めることが多かったそう。原因の一つに、自分と同じような働き方を他の社員たちにも求めたということが挙げられる。彼は、自分を限界まで働かせるだけでなく、他人にも限界まで働くよう求めた。休日になると、誰が出勤して誰が出勤していないかを確かめて、熱心な社員とそうでない社員を見分けていた。そんなことをしなくても、懸命に働く社員ばかりだったが、ビルは満足しなかった。ビルはリフレッシュなど全く必要なく、他の社員もそうだと思っていたみたいだ。

また、何か物事を決めるときにはとことん議論しあって決めようとした。意見の対立は歓迎。反論されると喜ぶ。相手を煽ったり貶めるようなこともよく口にしたそう。そういうのも、問題について深く掘り下げて考え、最も良い解決策や案を出すためのものだったみたいだが、やり方がきついなと思ってしまった。

意見の衝突は、ポールとの間でも起きたそう。大声で言い合い、一回の議論が何時間にも及ぶこともあった。

ポールはこんなビルの野蛮なやり方はよく思っていなかったみたいである。

 

次は9章を読んでいく。

 

 

第7章 MITS

 

今回は、第7章を読んだ。

この章から、いよいよマイクロソフトが動き出す。

 

ポールはMITS社のソフトウェア開発担当ディレクターに就任した。会社はアルテア発売直後なこともあり、大変な忙しさだった。

 

ハーバードが夏休みになると、ビルとモンテもMITS社のあるアルバカーキにやってきて、新しいバージョンのBASICの開発を行った。

この開発にはレイクサイドの後輩のクリスも加わった。

そして、四キロバイト、八キロバイトバージョンのBASICが完成した。

 

2人の商品はアルテア8080向けのBASICだけだった。そして、顧客はMITS社だけなので、業績は常にMITS社と連動する。はじめは、エド個人との口約束で取引をしてきたが、正式な契約を交わそうということになった。弁護士に書面を作成してもらい、BASICの契約を交わした。

この契約書を受け取ったエドは、中身を一切見ずにサインした。2人を信用しているから、中身を見る必要はないと言った。3人の間に信頼関係があったからこそできたことなんだなと思った。

 

正式な契約を交わしたからには、2人のチームには名前が必要だろうということで、「マイクロプロセッサ」と「ソフトウェア」を合わせてマイクロソフトという名前がついた。

このときから2人の関係性も少しずつ変わっていくように感じた。

ビルが利益を半々ではなく六対四にすべきだと言ったのだ。これまでの2人の立場は対等であり、これからもそれは変わらないと思っていたので、驚いた。理由としては、ポールはMITS社で働きながらBASICの開発も行っていたのに比べ、ビルはBASICだけに集中していたし、貢献度も高いというものだった。結果的にポールはそれを認めるが、私だったらそんなすぐに承諾はできないかなと思った。

 

その後もマイクロソフトは順調に成長していき、物件を買いオフィスを持つこともできた。

 

そのころに、MITS社とは目指すものに違いができ、ポールはMITS社をやめることになった。

ポールはマイクロソフトでフルタイムで働くことになり、ビルは大学を休学したままもう戻ることはなく、全ての時間をマイクロソフトに使うことができるようになった。

 

マイクロソフトがいよいよ始動して、今後も読むのが楽しみだ。

また、2人の関係性にも注目してみていきたい。

 

 

 

 

 

第6章 2+2=4!

 

今回は第6章を読んだ。

 

ポールはビルに呼ばれボストンに行き、大学を休学してハネウェル社というコンピュータ企業で働き始めた。

 

ハネウェル社はストレスが少ない会社として知られ、形式張ったところがなく、服装も自由でネクタイをするよう強要されたりもしなかった。同僚もいい人たちで、誰もが優秀で信頼のおけるソフトエンジニアだったそう。

 

しかし、仕事は決まりきった作業が多く、ポールにとっては退屈なものだった。

ポールは自分の力で新しいアイデアを出し、それを作り出すことに喜びを感じる人なんだろうなとここまで読んだところで感じた。

 

 ハネウェル社で働きながら、休みの日にはマイクロプロセッサについて考えていた。新しいコンピュータを作れないかとビルにアイデアを出すが、全てを否定されたそう。ポールが出したアイデアは時代を先取りしすぎたものや、自分たちの能力を超えているものだったからだ。本の中でも、ビルが現実的で助かったと書かれている部分がある。2人は本当にいい関係性だなと改めて感じた。

 

その後、ビルの賛同を得て、アルテア8800というコンピュータ向けのBASICという言語を開発することになる。

 

アルテア8800というのはMITS社というコンピュータの製造メーカーが開発した、最新式のミニコンピュータである。このコンピュータで動作するBASICはまだ無く、一番最初に会社に持ってきた人と契約を結ぶとMITS社の創業者、エド・ロバーツは言った。

 

ポールはビルと、モンテという仲間を加えて、開発作業に取り組み、約2ヶ月後に完成させた。

完成したBASICを持ってMITS社に向かい、社員が見守る中、テストを行った。テストは無事成功。アルテア8800でBASICが正常に動作したのである。MITS社との契約は成立し、ついに自分たちのビジネスを始められることになった。

 

正常に動作したときは、最高の瞬間だったとポールは述べている。

約2ヶ月間とてもハードな生活をしていたが、その努力が実り、自分が思い描いていたことが現実になった喜びは、ものすごく大きかったんだろうなと思った。

また、何かを協力して作り出すというのは素敵なことだなと思った。

 

今後も読むのが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5章 ワシントン州立大学

 

今回は第5章ワシントン州立大学を読んだ。

この章ではポールが大学生になったところからの話が書かれている。

 

大学生になったポールは、寮で一人暮らしを始め、いたって普通の大学生活を送っていた。

多種多様な人たちと一緒に暮らし、宿題を手伝ったり、フットボールチームに入ったりと大学生らしい生活だなと感じた。

 

1972年、レイクサイド時代の友人だったケント・エバンスが、登山の授業中に足を滑らせ亡くなった。

彼はビル・ゲイツと同い年であり、ビルは大変なショックを受けた。

ビルはレイクサイドと契約し、夏休みの間にあるプログラムをケントと書くことになっていたが、ケントができなくなってしまったので、ポールを誘った。ポールはそれを引き受け、2人で一緒に仕事をすることになった。

これがきっかけで2人はさらに親しくなっていった。「同じようなことを面白いと思い、同じようなバカバカしいことでよく笑った。」というところからも、仲の良さが伝わってくる。

 

その後もいくつかの仕事を引き受けることになるのだが、その一つに交通量調査の仕事があった。時間毎の交通量を調べ、それをデータで見やすくするというものだ。

この仕事をして行く中で、新システムを作ろうということになった。協力者が必要になり、二人の共通の知り合いがポール・ギルバートという、ワシントン大学電気工学科の学生を紹介してくれた。この3人で、これから作る新システムと、3人のチームの両方を「トラフォデータ」と名付けた。彼らはこの事業で大金が転がり込むに違いないと思っていたが、最終的には州政府が同様のサービスを自治体に無料で提供するサービスを始めてしまい、失敗に終わった。

 

章の最後に、「たとえ失敗しても、そこから進んで何かを学ぼうとする姿勢でいれば、その失敗は成功の種になる。」と書かれている。

これは、トラフォデータでの失敗は貴重な教訓になったということだろう。

この経験が、2人の起業家としての第一歩になったのではないかなと思った。

 

第4章 熱狂

 

今回は第4章熱狂を読んだ。

この章では、前章の続きで高校時代について書かれている。

 

章題にもあるように、ポールはコンピュータープログラミングにものすごく惹きつけられていたことが分かった。他の学科の勉強が犠牲になり、先生も嘆いていたようだ。

常にコンピューターの前にいて、食事さえも腹が減って死にそうになって、ようやく食べるという感じだ。

集中して自分の世界に入ると時間を忘れ、バスは終わってしまい、1時間くらい歩いて帰宅することもあったそう。

 

この時代は今ほどコンピューターは普及していないため、会社や大学などでないと自由に使えなかった。これまではCCCという会社で、PDP-10という新型コンピューターの受け入れ試験を手伝うため使うことができていたが、試験が終われば使うのにお金がかかってしまう。お金がかかるようになってからも、親が払ってくれていたが、やがて限界になるだろうと2人は感じていた。

そこで2人が起こした行動がすごかった。それは、コンピューターの管理者パスワードを突き止めるというのだった。そうすれば、無料でコンピューターを利用できるのではと考えたからだ。

しかし、後日勝手に操作したことがバレて、CCCから追放されてしまった。つまりコンピューターの利用ができなくなってしまったのだ。

 

この後、友人のつてで運よくワシントン大学のコンピューターを使えることになったり、罪が許されCCCのコンピューターが使えるようになったりと話が進んで行く。最終的に、CCCが倒産してまた使えなくなってしまうのだが…。

 

私は、常にコンピューターを利用するための手段を探す、その熱意がすごいなと思った。私はここまで何かに熱中したことが今までにないので、時間を忘れるほど自分が集中できるもの、熱中できるものに出会えたらいいなと思った。

 

 

 

 

第3章 ビル・ゲイツ

 

今回は第3章ビル・ゲイツを読んだ。

 

この章では、ポール・アレンが中学生になったところからの話で、ビル・ゲイツとの出会いについても書かれている。

 

読んでいてまず感じたのは、ポール・アレンはとてもいい環境で学ぶことができたんだなということだ。

レイクサイドという学校に通っていたのだが、そこはレベルの高い学校で、教育もかなり進歩していた。

コンピューターも置かれていて、自由な時間は常に利用していたそうだ。

また、先生や先輩、友人にも恵まれ、お互いに刺激し合いながら過ごすことができたんだなと感じた。 

 

この学校に入れたことは、彼の人生に大きく影響したのではないかなと思った。

 

また、ポール・アレンから見たビル・ゲイツについて、こんなことが書かれていた。

「秋のはじめのある日、私は、端末を囲む集団のほうへ、ひょろっとした、顔にそばかすのある少年が歩いていくのを見かけた。神経質そうだが、手も脚も、全身、エネルギーがみなぎっているようだった。(中略)この少年、ビル・ゲイツに関しては、すぐに三つのことがわかった。まず、非常に頭が切れるということ。非常に負けず嫌いであるということ。自分がいかに頭がいいかを証明したくてしようがないのだ。そして、もう一つ、彼が非常に粘り強い、ということも間違いなかった。」

この部分から、当時まだ中学生だが、この時点でビル・ゲイツの強い個性ができあがっていることが分かる。

特に、自分がいかに頭がいいかを証明したくてしようがないというところは、普通の人、少なくとも私にはない感覚だなと感じた。

やはり、小さい頃から他の人にはないものを持っていたんだなと思った。